昭和43年8月20日     朝の御理解

 御理解第56節「日にちさえたてば世間が広うなってゆく。ひそかにして信心はせよ」「ひそかにして信心はせよ」と。「日にちさえたてば世間が広うなってゆく。ひそかにして信心はせよ」と。



 信心を頂いておっても、様々なことがある。場合には世間を憚らねばならないような事。世間がせもうなるとこういうが、本当にこの五尺の体ですら置き所がない、といったような時すらある。
 そこんところを、もし信心がなかったりすると、いわゆる五尺の体の置き所がないとして、世間をはかなんで自殺行為などがなされるのはそれです。(辺なこうはかない?)そういうような境地というか、そういう故郷に立った時ね、そこを信心させて頂くものは、その日にちさえたてばと、世間が広うなってゆく。
 そこんところを心配していく。そこんところを神様におすがりして、いわゆるひそかにして信心せよと。ひそかに信心したい。
 まぁいうなら、こっそり信心させて頂いて、自分の心の中に、おかげを頂いていこうとこういうのである。そうしていく中には例えて言うなら、人の噂も75日。ね、次第にまた世間が広うなってくる。
 (その次?)おかげを頂いてまいりますと、その世間が広うなってくるぐらいな事じゃない。それこそ大きな心が頂かれて、いわば世界がわが心にあるというような、悠々たるというか、悠々たるというか。ね、大きな信心が頂けてくるようになる。
 初めはといえば、それこそ世間を憚らなければならないような。それこそ恥ずかしい思いをしなければならんような。本当に人に顔は合わせられないといったような、ようなことすらがあっても、そこをね、ひそかに信心していきよると。
 世間が段々広うなってくるとこういう。(どく?)にも言うように、人の噂も75日。何時の間にかそういう苦しいとか悲しいとか、ね、世間を憚らねばならんといったような事がありゃ、ような中にあっても。生きておってよかったと。というようなおかげにならせてもらえる。
 それどころか、そのひそかに、こっそり信心しておった信心が、ね、いうなら晴れがましゅう、堂々と信心が。こういう時もありました、ね、けれども、こういうおかげになって来ましたと。
 歌の文句にこんなのがありますね。「(ふるきずを?)思い出させてしみじみ寒い。二人の話にもらいなき」という。これは都都逸の文句です。「(ふるきずを?)思い出させてしみじみ寒い。二人の話にもらいなき」と。
 いわゆる世間を憚ってきておるその二人の、これは若い男女でしょう。何かこう、長火鉢かなんかの前で、二人の人が、お母さんお願いしますと。お父さん、どうぞよろしゅうお願いしますといったような風にその、まぁ許されない結婚なら許されない結婚といったようなところの、何か若い人がそこへ頼みに来ているわけなんですね。(くろうじん?)のところへ。
 本当に思うてみて、何十年前自分達もこの人達と同じようなところを通ったんだと。あんたがそれこそ死ぬ、死のうか生きろうかといったようなところを通ったけれども、今ではこのような立派な店も持たせてもろうて、この人達の話をまぁこれからね、まぁ若い時には誰でもあるよ。心配しなさんなと。まぁ私に任せときなさい。
 と例えば言うてやれれるような身分になっておるということが有り難い。ね、(古傷?)を思い出させ、自分にもそういう過去があったというのである。ね、私共例えばどのようなところでも通らせて頂いておるとです、そこから人が助かって行くことの出来れる道すらが又開けて来る。
 ね、私が例えば難儀なところを通らせて頂いておる、いわゆる、もう本当に通れないところ。そこを普通では通れないところを、神様にすがって通って来た。おかげでどういう窮屈な中の難儀な中にある人が、お願いにまいりましても、お届けにまいりましても心配しなさんなと。(さっと?)おかげ頂くと。一心におすがりして行きなさいて。さぁそれが辛抱じゃと。
 と私が言うてお取り次ぎが出来るようにですよね。私もそんな時代があったと、とこう言えれることは有り難い、ね。
 そこんところを「一人ひそかに信心せよ」とこう。そこでこの、「一人ひそかに信心はせよ」というところなんですね。
 昨夜、合楽会でした。段々、多い時には40名ぐらい集まっておった合楽会が、最近じゃもう非常に、もう本当に信心を求めて(なされる?)という方達ばかり。でしたか、昨日も(ほとほと?)20、12、3名でしたか。
 大和さんとか、久富さんあたりを含めて、12、3人でしたでしょう。合楽の方が9名、9名でしたか。だから、(もうこうじんまり?)とした、本当のその信心の共励が出来る。もうあんなその、合楽会が発会してから、もう一年以上にも経つ、なるでしょうが。その時分は、ただお茶を飲んでお菓子を食べて、そしてその信心話もだけれども、それは、ただ私を、本当(私ははかな?)というて聞くよう、聞くだけのような会じゃったけれども、もう一年経った今日は、少しは私が教導させてもらう。
 そげなこっちゃいかんばい。そげなこつがありもんのというような風な、あり方にならせて頂かにゃならんと思う。皆もその覚悟で、先生から怒られたなんて言わずに、信心を続けていかにゃいけませんよというて、そんな話からですね。
 (せどうですけなさん?)もう一年何ぼになったんですけれども、天津祝詞大祓い。ね、拝詞ぐらいはもう覚えたんですかって私は言い、なん。勿論こうやって朝参り、田中さんやら、中野さんあたりのごとありゃ、もう勿論そりゃ出来とるでしょうけれども、他の方達にそういう風に呼びかけたら、一向その覚えてないですね。又覚えようと思っていないです。
 それをなら例えば、十年十五年信心しておっても、まだ一人で大祓いが上がらんという人もあるくらいです。これでは神様に一心というてもですね、神様にこのくらい熱心になっとりますと言えんじゃないか。
 第一覚えようと思うていない。ね、覚えようと思ぇやね、覚えようと思ぇや。それこそ天津祝詞ぐらいならば、一日で覚えれる。ね、私もたいてい、あの頭が悪いけれども、あの、椛目時代に拝詞をね、あれは私共が、この(椛目で?)段々おかげ頂くようになって、その期間に本部の方であぁいう拝詞が出来て、あぁいう奏上するようになったん。
 だから、私共全然知らなかった。けども、あれを御祈念の時には、あの奏上するようにというて親先生から言われてから、そしてするようになった。一、私は一日あれを持ってから(よるだけで?)明くる日はもうそらで先唱させて頂いた。
 私ぐらいに頭が悪かっても、ね、その気になりゃ出来るんです。その気にならん、だから信心でもおかげを受けたいというなら、その気にならなければおかげは受けられんですよ。ね、例えばあのご詠歌とか(おうたい?)とかというて、まぁあやって、まぁあぁいう稽古をするでしょうが。そりゃご詠歌でも稽古する、誰でも稽古するといや、その覚えてしまう間は、自分の口の中でずっとこう、口ずさむようにしておらなければ覚えられないようにね、天津祝詞でもやはりそうですよ。
 やっぱ何時も、繰り返し繰り返しあの稽古しなきゃいけん。この次の合楽会の時には皆さん覚えてこにゃ、せめて天津祝詞ぐらい覚えていらっしゃいというてまぁ申しましたことでした。
 そういう話をしよりました時にあの、久富繁雄さんがこういう風に話されるんですね。あの、私の母はね、字一字も読めませんでしたて。私が晩にそのお勤めをさせてもらう。御祈念をさせてもらう時に、天津祝詞を横でちゃんと聞いておったら、何時の間にか覚えてから。
 (ながらかぜで?)寝とりましたが、寝とる間には、もう結構一人で天津祝詞をあげ、繰り返し繰り返しあげて拝みよりましたという話をなさいます。
 次にはね、これは私の信心を始めてから、直ぐの時分に天津祝詞、大祓いを奏上させて頂く稽古をさせ、毎晩御祈念をさせてもらう。そして、五巻、または多い時には十巻も繰り返し繰り返しあげさせて頂いた。
 暗唱をさせてもらうところは暗唱、分からんところはこう開いてそこを又見る。というようにして、一生懸命御祈念をさせて頂きよったら、★ある時に、私の目の前に赤い火の玉のような赤い玉がね、二つさぁっとこう横ぎったお知らせを頂いた。
 まだ信心の始めのころでした。それから明くる日、お参りをさせて頂いて、親先生にお届けさせて頂いたら、「同行二人」と頂かれた。
 私は本当にあの、それ以来です、もう全て何事の中にでも、祝詞一つ覚えさせて頂くでも、私が、私が覚えるのじゃない。神様と共に稽古をし、神様と共に唱えておる。これはもうお祝詞だけじゃありませんよ。何をさせて頂くでも、何をするでも自分がしておるようであるけれども、「同行二人」神様と共にさせて頂いておるという、そこからね、おかげが、私はもうそこの話を聞きよってですね、あんたも物覚えがええことはええので、もう十何年前の話をする、いう、お取り次ぎを頂いた時の事は、(うわー?)汗が流れるんです。
 もうそれが何というですかね、もう本当に聞いておってですね、もうおかげ頂かんですよね、私が。もう作りもなからなければ飾りもない。(よう?)をはなそうというのでもないけれどもです、もうそのあそこに私が何時も、繁雄さんの信心に魅力を感ずるんですけれども、何ともいえんその、その実際行じておるけれども、そういうことを言うておられんのです。いわゆるひそかに信心しておられる。
 だから、必要な時にはそげな、例えば信心体験が(ひょろひょろと?)こう出て来る。というようにです、「一人ひそかに信心せよ」とこういうけれどもです、ね、又、後のご理解に、「一人ひそかに信心せよ」とこういうところがある。ここでは、「世間が広うなってゆく。ひそかにして信心をせよ」とこうあります。
 ね、いかにも一人ひそかに信心しておるようであるけれどもです、それは神様がみたもう、神様が共にあって下さる。ね、いわゆる同行二人で、神様が知ってござる。神様が見てござるからという、そういう思いで信心が続けられるから、ひそかに信心がなされて行くのである。
 ここへ、「ひそかにして信心はせよ」と(言う風な?)そういうような、私は内容を持ったものでなからなければならんと思うですよね。
 「日にちさえたてば世間が広うなってゆく。ひそかにして信心はせよ」と教えておられる。何かこう慰めておられるようなね、世間狭い考えども持つなと。(仕返し?)しなさんなと。ね、ちゃんと信心しおりゃおかげ頂くやんかと。といったような、まぁ励ましとも(ぎょえる?)
 ならば、その、(神意?)というかね、日にちさえたっていくうちに、どのようにおかげを頂いて行くか。どのように変わって行くか。世間が広うなってゆく。いわゆる、それこそ、ようもようもあぁいう窮屈なところを通らせて頂いた。あぁいう恥ずかしい思いをするところを通らせてもろうた。けれども、次第に世間が広うなって、今ではです世界側が心にあるようなおかげを頂いておる。
 ね、次の道を歩いて来る人達にです、さぁそこは狭い、そこはこうだと。さぁそこんところは頑張らなきゃならんとこばいというて、教えてでもあげられるようにおかげを頂かれる。
 しかも、それがどういう窮屈の中にあってもです、自分一人が窮屈なのじゃない。自分一人が苦しいのじゃない。神様も私と共に窮屈な思いをしてござる。神様も私と共に泣いておって下さる。神様も共に、苦しいね、氏子の苦しみは神の苦しみと仰るように、私は苦しんでおる時には、神様も共に苦しんでおって下さるんだ。
 いわゆる同行二人への信心が出来るから辛抱が出来るのだ。そして、ようもここを通らせて頂いたということになってくる。そして、そこから、ね、そういう時には、こういう信心で私はおかげを頂いたと、新たな信心の道を歩いて来る人達に教えてあげる事すらも出来るのであります。
 このご理解56節はそういう意味ね、そういう内容を持ったものじゃないかという風に思うのでございます。どうぞ。

梶原 佳行